北欧建築・デザイン協会 The Scandinavian Architecture and Design Institute of Japan. |
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2人の建築家に合えた喜び |
筒井英雄 |
2006/07/08 |
私の北欧での生活の中で幸運な出来事は、北欧を代表する2人の建築家に会えた事だと思う。
アルバー・アールトとは1965年の夏後半にニューヨークから来たジャーナリストと友人ラッセと3人でようやく会う事が出来た。
見れば良くできてるプラン、スカッとせずなんとも得体の知れない外観、しかしながらアールトは人と会う事をあまり好まず、自分の作品 説明をすることもあまりしない建築家として知られていたから、有名なジャーナリストのアポイントがあったため実現したものと思っている。
吹き抜けのアトリエのコーナーに案内されると、葉巻を持ったアールトがゆっくりと現れ数日前に亡くなったコルビジェの事に落胆の様子で悲しみの表情を隠さなかった。
アトリエの中は模型があちこちに置かれ、アールトのスケッチが至る所に散在していて活気に満ちていた。
夏休み後半でスタッフも少なく余裕があった為か、面談は1時間の約束が2時間以上になり、自分の作品を熱っぽく説明しながら、コーヒーや葉巻も進めてくれ、素晴らしい雰囲気の中で予想外のもてなしを受けて感激した。
帰り際には、グローブのような手で握手をして、日本に帰ったら「ケンゾウ・タンゲに宜しく伝えてくれ」と言われた。
友人のラッセは感激のあまり暫く手を洗わず、余韻の中で1週間の アールト建築見学の旅を続けることが出来た。
■ フィンランディアのスケッチか?
ラルフ・アースキンとの出会いは2004年の春に、ストックホルムの南部をドライブしている時、友人のブルディンがドロトニングホルムのアトリエの近くだから訪ねて見ようと突然話しを持ち掛けられ立ち寄った事からだった。
ブルディンは昔、アースキンの事務所で仕事をしたこともあり、知人がいるかもしれないからと事務所案内をお願いした。
建物は3棟を細い路地で結ぶ構成で白樺の見える丘の上に建っていた。
イギリスのアーキテクトのジェフリー・デントンがアトリエから現れ内部を案内してくれた。
アトリエは住宅スケールで、4〜5人のスタッフがパソコンの前で仕事を進めていた。
一通りの案内が済むと、ジェフリーがアースキンが会ってくれるか訪ねてくると言って離れの自宅に行き、少しの時間ならOKとの事で面会出来た。
住宅に向かう細い通路には止め石が置かれ、春の花芽がいっぱいの中庭を見ながら自宅に案内された。
アースキンは南側の窓辺で分厚い本を見ていたが、我々が近づくと立ち上がり、アールトの握手と違い弱々しい感じだったがしっかりした言葉でブルディンの再会を喜んでくれた。
スキップフロアーの自宅は、旅行のコレクションやヨットの模型、楽器などが壁に飾られ、デスクの上には名刺やメモが電話の傍ら置かれていた。
90歳になった今でも仕事を続けている姿から建築への執念を感じ、その時は昨年末に亡くなるとは思えない元気さだった。
アースキンのオフィスは昔、夏の間はメラーレン湖の船の中で仕事をしたりして、北欧の自然環境の中から建築を創造し、又、「寒さと闘う極限的な北の環境」に立ち向い多くのプロジェクトを実現した。
その態度は賞賛に値する。
アールトは北欧を代表する多才な芸術家的建築家であり、アースキンはエコロジカルアプローチを大切にした自然、社会派な建築家ではないかと私は思っている。
2人に共通することは北欧の風土を建築にどのように反映するかを追求する事を基本的な理念としているところにあると思う。
短い夏の白夜の季節を自然の中で暮らし、長い冬は底知れぬ闇のなかで僅かな光をいとおしみながらの生活、「光と闇」の対比のなかで育まれる「北欧の建築」とスカンジナビアスピリットを世界に示してくれた。
長い間、会いたいと思う人に会えた喜びは計り知れない。
彼らに会えた事で親しみを持って北欧建築を見る事が出来るようになり又、多くの事を学び生涯の財産だと思っている。
■ アースキンのアトリエ。
右側が自宅、雪対策の細いブリッジを通ってアプローチする。
■ 窓際で本を見るアースキン。右下の机には電話とメモが並んでいる
■ 私とジェフリー。 中庭の池にはアヒルが泳ぎ、春の花が芽生え始めている
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