Realdania Bygは2004年にカアンとエベ・クレムセン夫妻の自宅を彼らの息子たちから購入しました。
カアンとエベ・クレムセン夫妻はともに建築家で、自宅はコペンハーゲンの北、ゲントフト市にあります。 ゲントフト市は高級住宅地域で、フィン・ユールの自宅、アルネ・ヤコブセン、ポール・ヘニングセンが設計した家など、デンマークの近代建築史に名前が出てくる建築家が設計した家がたくさんあります。
カアン・クレメンセン(Karen Clemmensen 1917-2001)とエベ・クレメンセン(Ebbe Clemmensen 1917-2003) は、二人とも父が建築家、母が画家という家庭に生まれました。 二人は王立建築アカデミーで出会い、1939年に21歳で結婚しました。アカデミーを卒業後、1943年から1945年までスウエーデンのストックホルムに移り、そこでヨーン・ウッソンやニルス・コペル夫妻などデンマーク人建築家と出会いました。
日本建築に触れたのもストックホルム滞在期間でした。 戦後デンマークに戻り、1946年から夫妻は共同の設計事務所を主宰しました。
エベ・クレメンセンは1952年から王立建築アカデミーで教壇に立ち、1964年から1987年までは教授を務めました。
二人の代表作は、1966年から1972年に建てられた、ゲントフト市にあるプールや体育運動室が備え付いているキルスコウスハーレン(Kildeskovshallen)や1967-1969年のLOスコーレン、1962-1966年ブローゴーセミナリウム(教員養成学校Blaagaard Seminarium)や隣にある小中学校などがあります。
ヘルシンガーにはカアンとエベ・クレメンセン,ヤール・ヘガーが設計したエルオスコ—レン(LO skolen、全国労働組合の研修施設。No.16号で紹介)があります。
最近この建物は国の保存指定建築になりました。 設計コンペではウッソンが一位になりましたが、シドニーのオペラハウスの設計で忙しく、ニ位になったクレメンセン夫妻の案が採用になりました。 日本の建築から影響を如実に取り入れているLOスコーレンを設計した夫妻の家がどんなものか、非常に興味がありました。
1953年に建てられたクレメンセン夫妻の家は、1939年から1958年にかけて政府が家を建てたい家族を対象に行っていた低利住宅ローンを借り、素材が独創的で低予算で作られた家です。 夫妻の家に対する思いが実現した個性的な建物です。
家は平屋で、外見が非常に地味です。屋根は瓦ではなく、スレートを紙のように折りひだを作っています。 屋根にある白い煙突の上に彫刻のように波打った黒い鉄の板が被さっているのが象徴的です。
外壁はレンガの代わりにガスベトンを使用し、表面を灰色に塗っています。 外に面した窓は、台所の白い小さい窓だけです。入口ドアのノブは目立たなく付いています。 灰色の壁の出入口の部分にだけ、計算された色鮮やかな黄色、オレンジ色など色彩の壁が抽象絵画のように付いています。
ガスベトンは砂、セメント、水を混ぜた灰色のブロックで、表面に縞模様が浮き出ています。 デンマークでは住宅などの建築材料として使われます。
外の地味さと比べて、部屋の中に入ると、各部屋の壁や収納棚の色が、青、緑、黄色、淡い水色など色鮮やかで、窓はすべて庭に向かって開放されています。 モダンな家は、大抵壁を白に塗っていますが、彼らの家では色彩は大変重要な位置を占めています。 緑色、淡い水色などが居間、洗面所の壁などに使われています。
家は庭を囲むようにゆるやかなL字型をしており、なだらかに傾斜している庭の先には自然豊かな林が広がっています。 建物の大きさは130�u。 住宅とつながって夫妻の設計事務所がありましたので、それを合わせると190�uの大きな家です。
ローマハウスと同じ1950年時代に建てられた建築物のせいか、道に面した壁に窓がなく、部屋の窓がすべて中庭に面しており、屋根の傾きも日本的でローマハウスの雰囲気に非常に似ています。
台所の床と廊下は白と黒の市松模様で、リノリウムです。 天井には木が張ってあります。台所は狭いながら、食器などをしまう引き出し、調味料入れや棚がたくさんあり、合理的で実用的で、非常にコンパクトに出来ています。
Realdania Byg が家を修理した際に、家が建てられた時に無かった食器洗い機が備え付けられ、コンロは電子調理器具に変られています。 ローマハウスの台所のように、台所から隣の食堂に直接食事を出せるように、開閉式の扉がありますが、この家では扉が上下に開きます。
食堂に面した台所の壁は、モンドリアンの絵画からインスピレーションを取ったように、白、黄色、オレンジ色、水色のカラフルな色を使っています。 台所のシンクの部分にある上下に開く扉を閉めると、玄関の外の壁に見られるような一枚の長方形を並べた幾何学模様になります。 食堂から台所の部分は、すっかり見えなくなります。 食堂に続く長い居間は長く、仕切りで暖炉のある空間とさらに奥に続く部屋と2つに分かれています。
エベ・クレメセンは部屋に家具を置いて狭くならないように、物を収納できる実用的なたくさん棚を作り付けました。 部屋や廊下には収納棚があります。居間には本棚、作り付けのソファーがあります。庭のベランダに向かって伸びる軒の張り出しが長く、軒を支える柱は細いです。 設計事務所があった部屋の屋根の傾斜は、高さが人間の肩ほどあり、低いです。
カアン・クレメンセンが自宅を設計するために水彩で描いた室内の見取り図は、繊細で細部まで神経が届いた絵で、アルネ・ヤコブセンの水彩画を思わせるほど上手です。
現在この家に住んでいる家族は、40代の夫婦と小さい子供一人です。
クレメンセン夫妻の家と同様に国の保存指定を受けているキルスコウスハーレンでも、夫妻の自宅にみられる建築の特色が確認できます。
黒みがかった茶色のレンガで作られた建物の玄関の部分にある低い屋根を支える細い柱は、素材が木から鉄に代わっても、自宅の軒を思わせます。 この細い柱の連続は、建物の外の部分、プールの外側、カフェテリアなど内部にも繰り返し使われています。色使いでは、内部の青緑の壁の色、カフェテリアの水色の床やサリーネンの家具の色は、クレメンセン夫妻の家で使われた色と同じ色です。
建物入口部分の壁にヘニング・ダルゴーソレンセン(Henning Dalgaard ?Soerensen)がデサインしたレンガの浮き彫りがありますが、アクセントとして使用されているオレンジ色、青色などの色彩が、クレメンセン夫妻の玄関と台所の部分に使われています。
夕方見に行ったプールは、建物の名前「泉の森、Kild skov」に相応しく、天井に付いている緑の照明が森を思わせるように綺麗でした。
最近のニュースでは、ゲントフト市にあるハンス・ウエグナーと共にデンマークを代表する家具デザイナー、ボーエ・モ—エンセン(Boerge Mogensen 1914-72))が1958年に建てた自宅が売りに出されていることです。
住居と設計事務所があった230�uの家の不動産価格は、8.5ミリオンクローネ(約1億4千万円)です。 不動産会社のサイトには、モ—エンセンがデザインした椅子やテーブルなどがおかれた広い居間の写真や、庭から見た家が載っています。
王立建築アカデミーの教授やデザインミゼウムの関係者は、有名なデンマーク家具デザイナー、モ—エンセンにとって実験的な家だったので、国が建物を保存指定できないだろうかと言っています。 アルネ・ヤコブセンなど著明な建築家の自宅を買い取っているRealdania Bygは、ボーエ・モ—エンセンの自宅を買い取る計画はないそうです。 文化遺産委員会でも、その家を国の保存建物に指定するつもりはないとのことです。
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写真は全て小野寺綾子氏撮影
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