コペンハーゲンで毎年9月に2週間ほど「コペンハーゲンゴールデンデイ(Golden days in Copenhagen festival)という文化の催しがあります。 10年ほど前に始まったころは、文字通り1850年から1900年にかけてデンマークの社会が近代化し、文芸がエポックを迎えたコペンハーゲンの黄金時代に焦点をおいた催しでした。 その時代の社会、文化、文学、建築、美術、音楽、演劇などに関して、たくさんの展覧会、音楽会、講演会、街案内などあります。 普段一般公開していない建物も解説付で見学できます。 最近は興味ある関心をもっと下がった時代に当てるようになりました。
今年は2つの大戦をはさんだ時期、機能主義、自由、ファシズムが台頭した1930年代に焦点をあてました。 この時代はジャズが流行し、ポール・ヘンニングセンが有名なランプを発表しました。
建築では日替わりでイェンセン・クリント設計のグロンドビー教会(1921−1940)、コペンハーゲン警察署(1924)、ヴィルヘルム・ラウリッエン設計のデンマークラジオハウス(1942)とコペンハーゲン空港ターミナル(1939)、機能主義に重点を置いて建てられた学校など10ヶ所が特別公開されました。
今回は、以前から見学したかった警察署とヴィルヘルム・ラウリッエン設計のコペンハーゲン空港ターミナルを選びました。
このターミナルとデンマークラジオハウスのコンサートホールは彼の代表作であり、デンマークのモダニズムの特徴をよく表しています。
コペンハーゲン空港ターミナルは、1936年にアーネ・ヤコブセンなどが参加したコンペがあり、ヴィルヘルム・ラウリッエン(Vilhelm
Lauritzen)とクリスチャン・ヌックントビド教授(Christian Noekkentved)が設計したモダニズム、機能を重視した建物が採用されました。
建物は1960年までターミナルと使用されましたが、1990年代にコペンハーゲン空港の拡張工事にともなって、建物は元あった場所から1999年9月に現在立っている場所に移動されました。
この時建物を移動した映像を見ると、ターミナルに増築された余計な建物を取り払いました。
本来の建物の二階の部分だけを残し、一階の壁をすべて取り払って柱だけにして、それを700個も車輪がある長いトレーラーに乗せ、一時間に1kmの速度で工事は飛行機の発着が少ない深夜に空港内を東から西へ約3,8km移動しました。
その後、建物はできるだけ本来の建物に戻すように大修理され、特に音響、断熱や暖房などは補強されました。
現在、ターミナルは彼の名前を付けたヴィルヘルム・ラウリッエン通りにあります。 建物にはコペンハーゲン空港公団の環境、IT部門などが入り、さらに女王が国賓を出迎える時に使用するVIPルームとして使われています。 ターミナルは滑走路に近いので、時々飛行機の爆音が聞こえます。
建物の外見はル・コルビジェの影響をうけた真っ白い建物で、無駄なものがすり落とされています。 正面玄関の上の波型の屋根、フェリーにあるような黒、赤、白の横縞の円筒煙突が白色の建物のアクセントになっています。 あの時代の新しい素材であるコンクリートに対して木製のドアや玄関の回転扉が無機質な建物に温かみを感じさせます。
内部は白色でまとめられ、天井の波打つ曲線と二つある階段の一つが螺旋階段で、とても美しい曲線を作っています。 真鍮の手すりに細いワイヤーが編まれています。 建物の細部まで細かいデザインがされています。 しかし、やはり昔の建物なので2階部分があるものの、飛行場ターミナルとしては狭いです。
外からみると窓辺の曲線が美しい食堂のランプは建物が建てられた時からのものですが、赤いソファーや椅子、木の壁はオリジナルに沿って新しくされました。
2階にあるガラス窓が突き出た航空管制室では、当時一人が飛行機の発着管制の仕事をしていました。その時使用された道具が机に置かれて再現されています。 やっている仕事内容は現在の管制官と基本的に変わらず、人間がやっていた仕事がコンピューター化しただけだそうです。 その階の部屋は青色と赤茶色の壁、黒色のドアがあり、白で固められた一階と非常に対照的です。
ラウリッエンと空港の縁は今でも続いており、現在のコペンハーゲン空港の新しいターミナル3とすぐ脇に立つヒルトンホテルはヴィルヘルム・ラウリッエンA/S設計事務所によって設計されました。
フィン・ユールは建築科の学生のころから独立するまでラウリッエンの事務所で働いていて、特にラジオハウスの建築に関わりました。 今、そのラジオハウスに代わるものとして、ジャン・ヌベール設計による新しいコンサートホールが来年1月から本格的に活動を始めます。
■
写真は全て小野寺綾子氏撮影
全ての内容について無断転載、改変を禁じます。