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デンマーク ・ ヘルシンガーからの便り  26

「4人の建築家が設計した自宅 その 2」

2011/5/26小野寺綾子 / ヘルシンガー

エドワード・ハイベア(Edvard Heiberg 1897-1958)は北欧で最初にモダニズムの家を設計した建築家です。
ハイベアは1897年にノルウエーで生まれ、若い時期から建築家になる夢がありました。 1916年にコペンハーゲンの王立アカデミーの建築科に入学しました。 ハイベアは熟慮されて、実用的で安い住宅設計に興味があったのに対し、アカデミーの勉強は歴史記念物や古い建物を勉強することに不満を覚え、1922年フランスに留学しました。
フランスでル・コルビジェに会い、モダニズムの建築に大変影響を受けました。 1923年にワイマールであったバウハウスの展覧会を見ました。 1928年にはドイツのバウハウスに学び、1930年バウハウスの学長ハンネス・メイヤーと親しくなります。 1930年5月にバウハウスで教えるようになりますが、10月に学長のハンネス・メイヤーが辞任すると、ハイベアも共にバウハウスを辞めてしまいました。

ハイベアは何度も旧ソ連を訪れています。 最初の訪問は1932年で、モスクワに住んでいたバウハウスの元学長が務めていた住宅設計事務所を訪問しています。
論客家でもあり、文化・建築雑誌の編集などもしていました。
バイベアは1931年から1958年に亡くなるまでデンマーク共産党の一員でした。 第2次大戦中 1941年に刑務所に入った後、1943年にスウエーデンに逃避し、ストックホルムで建築家のウノ・オーレン(Uno Aahren)の設計事務所で働きました。
ハイベアは戦後デンマークに戻り建築の活動を開始しますが、共産党員であるため、彼の思想を嫌って昔一緒に働いていた建築家の仲間が離れてしいました。
ハイベアの主要な作品は、戦前、戦後とカイ・フィスカ—やカール・ラッセンなど建築家と共同で設計したル・コビジェに影響された機能主義を重視した公共住宅です。 特に1951年から1956年に建てられた、ベラホイにある高層住宅群が有名です。

1923年に結婚したハイベアが設計した新居と付属の車庫は、やはりル・コルビジェからの影響を受けた建築です。
建物の外観は淡い黄色で、ドア、雨どい、窓枠、軒、庭を囲むフェンスなどが淡い緑色と徹底的に2色に統一されています。 現在、黄色と緑色のコントラストの強い家を見ても違和感がなく、特別目立った色とは思いえませんが、この家が建った当時、挑発する色でセンセーションでした。
ハイベアがこの家に住んだのは、1924年から1928年の短い期間です。 1939年に別な町に2番目の自邸を設計しています。
Realdania Bygは2006年にハイベアの自邸を買いました。 所有者が代わって何度も塗り重ねられた外壁、室内の壁やドアの下から、オリジナルの色を見つけて再現しました。
ハイベアは本来この家をコンクリートで作りたかったそうです。 経費の問題もあり、ハーフテインバー方式(デンマーク語ではbindingsvaerk)で家を建て、外壁の上に伸ばしたメタルを張り、さらに薄くセメントを塗っています。
ハーフテインバー方式はデンマークでも中世から近世まで家を建てるのに使用された建築方式で、柱、梁、筋かいなどは骨組みを外にむき出しにして、その間にレンガや土を充壇して壁にするものです。
家は1階に台所、女中部屋、洗面所、居間とダイニング、仕事部屋、寝室がありました。 地下室はコンクリートでできており、洗濯場、暖房、湯沸かし釜などが置かれていました。
家は合理的で機能を重視して設計されています。  台所は広く、調理された食事は、わざわざダイニングに運ばなくても、台所の壁に配ぜん用に作られた小さな扉が二つ付いているので、ダイニングに直接食事を渡すことができます。
寝室のタンスから汚れた衣類を地下室にある洗濯場に送るため、ダストシュートみたいなものも備え付けられていました。 地下に湯を沸かす釜があり、洗面所と台所では湯と水が両方使えました。
薄緑色のドアがある玄関から家の中に入ると、両脇が洗面所や元女中部屋で暗いのですが、南に面した居間に入るとガラス窓から太陽の光が差し込んできて、とても明るいです。
家の中心部である居間の正面に、縦横約50cm x 60cmのガラスが上下に6枚ずつ、合計12枚入っています。
右側下の窓ガラス1枚はテラスに出るドアのガラスになっていて、テラスから庭に下りることができます。
細い窓枠は当時のものを使っていますが、窓ガラスは断熱ガラスに替えられました。
居間の暖炉は今でも使えて、見学会の時も、薪が燃えていました。 居間の壁や備え付けの書棚は薄いクリーム色に統一され、天井の高さは4mほどあります。 居間には使いこまれたケアホルムの椅子やボーエ・モ—エンセンの革製のソファーが置いてあり、壁に掛っている絵も良い趣味が感じられました。
現在の入居者は2年ほど住んでいるという60代の男性と娘です。
居間の一角にあるハイベアが仕事場にしていた部屋は、この家の主人の書斎に替わり、モーツアルトの曲がかろやかに流れていました。
ハイベアは部屋の色についてもこだわりがあり、寝室、洗面所、女中部屋などの壁やドアの色が赤、薄緑やくすんだ緑色などに塗られていました。
見学会は残念ながら個人宅を訪問するので、内部の写真をとることができませんでした。
しかし、アルネ・ヤコブセンの家と同様に、見学者は台所、書斎、居間、洗面所、寝室、地下室、庭などを自由に見ることができました。
入居者が文化価値ある家でどのような生活をしているのか非常に興味深いです。

写真は全て小野寺綾子氏撮影
全ての内容について無断転載、改変を禁じます。

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1931年にハイベアが4人の建築家の一人として設計に参加した、健康で快適な住宅政策で作られた25棟ある住宅群

■ 1931年にハイベアが4人の建築家の一人として設計に参加した、健康で快適な住宅政策で作られた25棟ある住宅群。

■ 1931年にハイベアが4人の建築家の一人として設計に参加した、健康で快適な住宅政策で作られた25棟ある住宅群。

べラホイ高層アパート

■ べラホイ高層アパート
1951年から1956年に施工された、デンマークで最初の1300世帯が入る高層アパート。
ハイベアら6人の建築家が設計にたずさわった。

■ べラホイ高層アパート
1951年から1956年に施工された、デンマークで最初の1300世帯が入る高層アパート。
ハイベアら6人の建築家が設計にたずさわった。

べラホイ高層アパート

■ べラホイ高層アパート

■ べラホイ高層アパート

自宅正面と右側の小さい建物が車庫

■ 自宅正面と右側の小さい建物が車庫
玄関の上には、雨よけがついて、入口ドアが左側にある。

■ 自宅正面と右側の小さい建物が車庫
玄関の上には、雨よけがついて、入口ドアが左側にある。

正面玄関のドアと雨避けの庇

■ 正面玄関のドアと雨避けの庇

■ 正面玄関のドアと雨避けの庇

建物側面

■ 建物側面
外観は薄い黄色と薄い緑色で統一している。

■ 建物側面
外観は薄い黄色と薄い緑色で統一している。

正面前庭から見た家

■ 正面前庭から見た家
左手の部分は寝室、子供部屋、洗面所にあたる。

■ 正面前庭から見た家
左手の部分は寝室、子供部屋、洗面所にあたる。

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